

まずは竹内さんの子ども時代のお話を聞かせてください。小学校の頃からテニスをやっていて、結構活発な子どもだったと思います。通知表でいうと、体育と音楽と理科だけは5でした(笑)。
プロを目指してました。とは言っても、目指していたのは戦う方のプロではなく、私は人とコミュニケーションを取るのが好きだったのでレッスンのプロ。一応それになれるくらいの成績は持っていたんです。でも高校3年の一番大きな大会が終わった後、「膝が悪い」と医者に診断されて、仕事としてやっていくのは無理だと。それで、高校を卒業後は服飾の専門学校に進学したんです。
はい。でもウチの親も服飾系の学校出身でファッションが好きだったので。小さい頃から流行りの洋服を着せられていたし、その影響もあったとは思います。あと当時、初恋の彼氏がいて、彼にクリスマスプレゼントで編み物を贈ったりしてて。ダブルの金ボタンが付いたニットのジャケットを作ったりしましたよ。それで、ファッションの専門学校のニット科に入っちゃえば、手も慣れてるから出遅れはないなと思ったんです(笑)。
学生時代にいじめを経験されたとか・・・はい、実は小学校から高校まで、ずっとイジメられっ子でした。学級委員とかやってるのにイジメられるっていう、かなり不釣り合いな感じの。
普段の学校生活はもちろん、テニスの仲間内でも靴を隠されたり、ダブルスを組む時に私が一人あまったり、本当に色々ありました。
努力とは言えないかもしれないけど、とにかく不登校にならないことと、親や学校には相談しないこと。結局助けられないし、逆にエスカレートしちゃって絶対に逃げられないと思ってたから。でもその時、私なりの“3の哲学”を学んだんです。
イジメって、ずっと1人が標的なんじゃなくて回るモノなんです。盛んな時期がね。そのサイクルが3日だったり3週間だったり3ヵ月だったり。だから、例えば3日経ったから明日はどうだろう?とか、自分が絶える上での目標値にしてました。
すべての人に当てはまらないかもしれないけど、イジメられる=何か突出してるものがあるって考えて欲しい。どこかみんな違うカラーがあるから標的になる――それって自分の内面を観察するいい機会になると思うんです。あとは、イジメの真っ只中にいる時は辛いかもしれないけど、あきらめないでそれをくぐり抜けて欲しい。耐えてきたものや、人の痛みを知った経験は、後で絶対に修行だったと思えるから。
服飾の専門学校を出て、カメラマンの道を目指したキッカケは?卒業後は、芸能プロダクションに就職してデスク業務をやってました。でもその頃はまったくカメラには興味がなく、本当にやりたいことも見つかってなくて。その後、別に職業に就いた時も、きっと私はこれで有名になるんじゃないとか、きっとこの道じゃないけど一生懸命続けてれば何か見つかるんじゃないか、ってことを思ってやってたんです。具体的には、音楽会社の新人発掘の部署で働いていた時、退職のタイミングで外国に行こうと思い立って。でも、外国で色々な人と知り合うには何かキッカケがないといけない。それで、外国人と交流するために、「写真の勉強で来ました」っていうのがいい理由づけになるだろうと。そこで、現地に写真を持っていくために、当時手掛けていたアーティストたちを撮った。それが最初にカメラを持ったキッカケだったと思います。
いつっていう時期はないんですが、私は写真を撮っている時が一番“体が整っている時”なんです。カメラを置くとイジメられっ子に変わったり、酔っ払いのおばさんになったり、何かが足らない(笑)。カメラがあって、やっとまともな人間になるって感じがしてます。カメラマンとして走り始めて、徐々にそれを感じていきましたね。今はもう、カメラが体の一部って感じです。
では最後に、現代を生きる子どもたちへのエールをお願いします。とにかく“逃げない”ってことですね。あと、イジメを経験した私だから言えるわけじゃないですが、自分がいくら辛い時でも人に辛く当たってはダメ。自分が悪いことをしたら絶対それは返ってくるから。
ありがとうございます。私の写真に関して言うと、今後は引き続き人物も撮っていきながら、光と影をいかした新しい世界観を作りながら風景などの作品にもチャレンジしたいと思っています。もっとパワーのある強い表現を打ち出していきたいですね。
