

明けましておめでとうございます!明けましておめでとうございます。
はい。岩手県の大船渡に住んでいて、小さい時はアイドルになりたいと思っていて、近くの公民館ののど自慢大会で松田聖子さんの歌を歌って3位に入ってぬりえを貰ったっていう思い出があるんです。いつもは人見知りをする性格なんですけど、このとき初めて人前で歌を歌って、歌ってすごいんだなぁ、別の自分になれるんだなぁって思ったのを覚えています。
練習というか、妹がいて、妹と二人で当時あったベストテンやトップテンなどの、歌番組ごっこをしながら『今週の第10位は!』とか言いながら家の台所から登場してみたり、3位の人は寝室から登場したり、というのをやっていましたね
うちはお母さんが女手一つで育ててくれて、その母が美空ひばりさんが亡くなった時に追悼番組を見ながら、父が亡くなってからずっとひばりさんの『柔』でお母さんは励まされてきたっていうのを聞いたんです。それで、ひばりさんがテレビで歌っているシーンを見て、画面に歌詞が出てくるじゃないですか、それを見て、今まで自分が聴いて毎日歌っているアイドルの人たちとは違う世界がそこにあって。一人のお母さんの人生を支える演歌の魅力ってどんなのかなぁって思いましたね。その母の影響から演歌を聴くようになりましたね。
自分で作詞作曲されますが、もともと詩を書くことが好きだったんですか?そうですね。授業中にノートの切れ端に、外の落ち葉のシルエットを見ながら書いたりして…
例えば、人見知りをするとか引っ込み思案の性格があったとしても、歌を通して表現ができるっていう部分には、違う自分になれる気がして惹かれて行きました。
きっかけは…今思うと、すごい根拠のない自信というか(笑) とにかく分かったのは岩手にいたら絶対に歌手になれないって思って。東京に行ったらなんとかなるんじゃないかっていう安易な思いで。なんの当てもなく高校卒業してから上京しましたね。
全然なかったですね。上京して不動産屋さん行ってアパートを決めて…という感じでしたね。お母さんがずっと反対して、そんなに行きたいんだったら3年は帰ってくるなって言われて。そんなの帰ってこないよ!って言ったりして…(笑い) バイトを1週間に4つ掛け持ちしながらタレント養成所へ行ってました。そうやって3年経って今の事務所の社長に知り合いました。社長に『寺内タケシさんのとこで教えてもらえるかどうかわからないけど掛け合ってみるから』ってことで協力してもらいましたね。で、寺内先生のところにいったら、『俺のギターも歌にしたら演歌なんだよなぁ~。分かった、じゃあやってみようか。』って言って下さって。そこから毎日ジャージ生活の裏方の生活が始まって、時々寺内先生が『今日桃子歌ってみるか』ってステージに呼んでくださったり。そうこうしているうちに実際曲を作り始めようってことになって夜な夜な、一週間も泊まり込んだこともありました。最終的に7曲、曲も詩も寺内先生が作ってくれて、スタジオでレコーディングをして、出来た曲をツアーで歌わせていただいてという形でした。
浅香光代先生とはどういう出会いだったんですか?寺内先生のところへ行って、1ヶ月も経つ間もなく『演歌を歌うんだったら日本の和という文化を大事にしなくちゃいけないし、それこそ歌うんだったら和服姿がいいからちゃんと覚えなさい』ってことで。寺内先生が一緒に来ていただいて『うちの弟子をお願いします』という形で紹介していただきました。そこから浅香先生のところでもお世話になりました。
そうですね。ただ、その時にちょっと思ったのが、演歌をやりたいのに片やエレキの神様で片や女剣劇で、大丈夫かなって(笑) でも、やっぱり無駄ではないし、浅香先生に芸名があった方がいいってことで付けていただきました。
寺内先生のところでの修行では2年半くらいなんですが、ずっとお世話になって自然に巣立っていくのかなって思っていたらある日突然に呼ばれて『頑張ったなぁ、いいか、今日から卒業だ!』と言われて。そういわれてもどうやってやっていいのかも分からなかったし、そんな中で寺内先生のところでお世話になった方々に紹介してもらって、ライブハウスやそれこそ都内のキャバレーなんかでも歌いましたし、老人ホームや福祉施設にも自分で電話してお願いしたりしましたね。そんな時に、自分で歌詞を書くのも好きだったし寺内先生の曲作りをずっとそばで見ていたので、やってみようって思って。たとえばシングルマザーで頑張ってる人を見て、シングルマザーに向けた応援歌などを作ってみたりしました。でも、演歌では自分で曲を手掛けるってことがタブーみたいだったので、どうしても聴いてもらうまでが難しくて。
まず、お客さんがいないって状態で(笑) 寺内先生のところでやっていた時は、寺内先生のお客さんがいっぱいいたんですけど、いざ一人になってみると誰もいないっていう現実を改めて知った時に、ここからがスタートなんだ、デビューできたことが嬉しい事じゃなくて、ここからがスタート地点なんだと。ただ嬉しいだけじゃなかったっていうのが正直な気持ちですね。でも、その分故郷の大船渡は、小さい町なので帰るとすごく暖かく迎えてくれて、故郷ってありがたいなぁって。
今、故郷にいるお母さんはまずどんな思いでしょうか?NHKの歌謡コンサートに出る時に『決まったよー!』って報告した時に電話の向こうで泣いているお母さんがいて、電話している私も半べそでした(笑) その生放送の当日はみんなが公民館に集まってテレビを見たみたいで。
そうですね(笑) その時の写真が送られてきて、テレビで私が歌っていてその前でみんなが正座している感じの写真でした(笑) また新たなスタートだな、テレビに出ることはすごいんだな、大変なんだなって思いました。
今、実際夢を実現されて頑張っていますけど、今の時代を生きている子供たちに何か伝えたいことはありますか?やっぱり夢っていうのは小さい大きいってことではなく、自分を変えてくれる力になるんだなって思います。それが叶うのか叶わないのかっていうのは将来の自分に聞いてみないと分からないけど、でもそう思いを描いてそこに向かって頑張っているとどんなことも乗り越えられるパワーが出てきて。
これからが更に自分の夢に向かっていくときだね、頑張って!とエールを送りたいです。