まずお二人の関係をお聞かせ下さい。
金子
僕が結構脚本を書いてもらっている松枝佳紀君という劇団アロッタファジャイナの主宰者がいるんですけど、そこの看板女優さんがナカヤマさんです。
金子
僕の映画には『DEATH NOTE』の最初のシーンで、渋谷で演説している教祖様という役柄で出てもらいました。そういう雰囲気を持っている人なので。さらに、その年に僕が監修をした『偽伝、樋口一葉』という満島ひかりさんが主演の舞台で、その時に土偶というか…(笑)
ナカヤマ
一人の人が色んな役をやるんですけど、主に樋口一葉の先生役をやって、花街のやり手ババアみたいな役もやって、という感じでしたね。
金子
その監修をした後に、上原多香子主演のショートフィルム『足りない生活』の中で占い師の役を。実際に占い師さんなので僕も色々占ってもらっているんです
金子
占ってもらっているというか、映画に出てもらいつつ占ってもらっていますね。他にはテレビドラマの『阿久悠物語』では、阿久悠さんの少年時代の母親役をやってもらい、今年公開予定の『ばかもの』では飲み屋の女将をやってもらったりしています

では、まず金子監督の子どもの頃のお話からお願いします。監督は渋谷区出身ですね?
金子
はい、物心ついた時から絵ばっかり描いていましたね。両親が共働きだったので、家でマンガを描いていることが多かったですね。4畳半と3畳しかない家で家族4人で暮らしていて
ご兄弟は2人ですか?
金子
そうです。下は僕が小学校1年にあがったときに産まれたので保育園の頃は一人っ子みたいだったんですよ。親が社会改革を目指している人たちだったから、それで『正しいことをしているから貧乏なんだ』ということを僕に言っていました。ただ楽しい貧乏っていうか、親同士もすごく仲良かったですね。しょっちゅう子どもの前でチュッチュするような。それで小学校1年にあがったら、その後東大に行った小沢君という子とクラスが一緒で、僕は覚えていないんですけどジャングルジムで話していたときに僕が『君ンチ何党?』って聞いたらしく『僕ンチ共産党』って話をしたらしく(笑) それから仲良くなって、渡辺君という子も加わり、この人も東大に行ったんですけど、この3人でよく行動していましたね。

監督になられた原点になるような思い出はありますか?
金子
テレビは1歳のときに家に来たっていう。貧乏なんだけど、そういうことはお金を使っていましたね。テレビはあるし、電話はあるし。近所の人が電話をかけに来たりテレビを見に来たりしていましたね。
当時は映画館へ行くということが主流だったのでは?
金子
うちも休みの日に渋谷とか新宿に親と一緒に映画を見に行って帰りに餃子を食べるというのが小さい頃の思い出として残っていますね。
その時観た作品を覚えていますか?
金子
『モスラ』とか、『椿三十郎』とかですね。で、小学生の頃の話に戻るんだけど、その小沢君と渡辺君と僕の3人は問題児だと思われていて、クラス替えの時にバラバラにされて、学校の中で一番恐いと言われていた浜野先生のクラスに僕一人だけなっちゃって。そのクラスの中に野田秀樹君がいたんです。その先生は恐いけど、すごく面白い人で、演劇が好きで演劇教育をされてたんですね。高学年の時のクラスの思い出は数限りなくあるし、話すと何時間でも経っちゃうんです。
ちなみに、野田秀樹さんとの思い出はありますか?
金子
彼が主演で僕が演出で『赤ずきんちゃん』をやった覚えがありますね。5年生の時に6年生を送る会で。赤ずきんちゃんが女装しているから、6年生のお姉さんから『あの子可愛い』って言われていましたね、野田君が(笑)
小学生のときから演劇とか映画を目指していたのですか?
金子
そんなことはないですね。マンガ家とかに憧れていたけど、演劇とか映画の世界には憧れはなかったですね
その頃好きだったマンガは何ですか?
金子
『鉄腕アトム』から高学年になったら『サイボーグ009』ですね。それで、鉄腕アトムクラブに野田君を誘って入ったんですよ。そしたら、入会した月に終わってしまったんですよ。会報があって、会報にアトムが頭を下げて『ごめんなさい』って書いてあって。それは、手塚治虫さんが中心になって、マンガエリートのための『COM』というマンガ専門誌を出すための準備だということを後から知って。入った月に一回の会報で、おまけにセル動画を貰ってがっくりしちゃったんですよ。その話を野田君が生前の手塚さんにしたんですよ。そしたら『それは悪いことをした』と言って手塚さんが300冊の手塚治虫全集を送ったっていう。僕が誘ったのに(笑)

それではナカヤマさんはどんなお子さんでしたか?
ナカヤマ
そうですね、私はミッション系の幼稚園で、親が共働きだったので、がっちり幼稚園に預けられていて。で、クリスマスの時にマリア様とイエス様のお芝居をするんですよ。私はマリア様役をどうしてもやりたくて、でも一度も出来なくて。。。オーディションも一応するんですけど、一度も選ばれたことが無くてすっごく悔しくて泣いた覚えがあります。
もしかして今女優をやられている原点はそこですか?
ナカヤマ
そこですね、本当に!今思えば…めちゃめちゃ悔しかったので。
マリア様をやるために何か努力されたんですか?
ナカヤマ
そこで幼稚園の時にお芝居の熱が冷めちゃって、次は中学生の時にラジオで鴻上尚史さんのオールナイトニッポンがあったんですけど、夜中まで起きて聞いていて、演劇を一回見に行こうと思って第三舞台を見に行って、面白いと思ったんですね。割と大らかな家だったので、長崎から東京まで見に行きましたね。ラジオのはがき職人をやったり…(笑)でも3回くらいしか取り上げてもらえなくて(笑) そこから、高校生の頃にははがき職人から小説を書いていて入賞とかしていたんですよ。
どんな小説だったんですか?
ナカヤマ
恥ずかしいんですけど…美少年の子達が恋愛をするボーイズラブをテーマに書いていましたね。夢中になって書いていました。。。。でもワープロが壊れたのが原因で小説書くのを辞めました。で、他に無いかな~って思って大学生の頃に学校の外で演劇活動を始めましたね。途中で就職したりもしましたが、28歳の時に今の劇団と出会って、旗揚げだったんですけど。
ナカヤマ
まだ28だったんですよ~。それから○×年経ちましたねぇ~。
それでは、今の子供たちにメッセージをお願いします。
ナカヤマ
そうですね、出来るだけいっぱい面白いものを見たり読んだりすることですね。それと、私が今思っていることは、人としての素養ですかね。今は色んなことがすごく圧縮されちゃって、中がペラペラだなぁって思う時があるんですね。共通認識などがなくなっちゃってるんですね。中に収まるのではなくてたくさん興味が向くものにマニアックになってほしいなと思います。

それでは、『DEATH NOTE』についてお聞かせいただけますか?
金子
あれは、2005年の末に話があって。それまでは知らなかったんですけど、その1年か2年か前に子供に『これ面白いよ』って言われてパラパラっと読んだんですけど、『別に面白くねぇよ』って言った覚えはあるんですね。ところか映画の話が来たので、もう一度漫画喫茶で読んで。
金子
(苦笑)。 漫画喫茶で割と急いで読んだからよく分かっていない状態で打ち合わせをしたかな。それが12月の半ばくらいかな。それで、2月の頭にクランクインが決まってた。しかも、12月の終わりから1月の頭にかけて、ウルトラマンマックスという番組を2本撮る事が決まっていたから。それを撮った後、打ち合わせが始まって2月からクランクインで6月公開っていうすごいスケジュールだったんですね。もう前編作っている時は後編の事はほとんど考えられず、2月・3月で撮影して、5月に全部つなぎ合わせたのを見たら自分でも『後編観たいよ。どうなってるの?どうなるの?』という感じで。その後から後編のシナリオ作りになって。その時は結構大胆に脚本・原作を変えていきましたね。まぁ、主人公の月(ライト)と父親との関係というのが原作とはかなり違うんですけど、その父親像がさっき言った高学年の時の担任の先生の浜野先生のイメージに結構重なっていますね。芯を通して曲げない生き方というのが。
出演者を決める際に御苦労などはありましたか?
金子
藤原竜也君は決まっていたんだけど、L(エル)の役は決まっていなくて。松山ケンイチ君がオーディションに来て。全然イメージと違かったんだけど、喋っているうちにインスピレーションがあって、『松山君をL(エル)にしたら面白いんじゃないか』ってふと思ったんだよね。それで、30分くらい経った時には『こいつでいこう!』って決めていましたね。
では怪獣映画のガメラやゴジラを監督された時のエピソードなどありましたら
金子
高校1年の時に初めて8ミリ映画を作った時から映画監督になりたいと思うようになったわけですが、大学を経て助監督になり、監督になってから今のうちの奥さんと一緒に色々なビデオを見出して。ちょうどそのころビデオの時代が始まって。で、久しぶりに怪獣映画を一緒に見たら面白くて、日本でエンターテインメントを目指してハリウッドに対抗できるものとしたら怪獣映画になるんじゃないかと思って。そこから色々怪獣映画を創りたいというアピールを周囲にするようになって。大映に呼ばれた時は、大魔神が企画として進行していたんですけど『大魔神とかやるんだったらガメラの方がいいんじゃないの?』って言ったんですよ。それが根っこにあって、映画会社がガメラで勝負しようとした時に監督の候補として僕の名前があがったんですね。だから、僕が大映でガメラの話をしてから実際にガメラのオファーが来るまでに10年くらいですかね。で、家に帰ってガメラのオファーがあったよって奥さんに言ったら、『ガメラ撮ったらゴジラ撮れなくなるんじゃないの?』って言われて。『ガメラって、亀みたいなやつでしょー?』とかそういう感じで。でも、ガメラは僕が中心になって若いスタッフを集めて創ったことで、ステータスが上がったんではないか、と自負していますけど。
監督として女優さんへの配慮とかってありますか?
金子
結構、映画を撮っている時は好きになっちゃうのかなぁ~って思いますね。なんというか疑似恋愛感覚で撮っている時があると思いますね。それが終わると結構さっぱりしてますけど。映画の中でかつて溝口健二監督と田中絹代さんのインタビューで『映画の中の夫婦でした!』とおっしゃっていて、映画ってそいうところがあるのかなぁって。出演者だけじゃなく、スタッフも含めてみんなで創り上げるということが、楽しく・苦しく・また楽しいですね。それを最初に経験したのが高校1年生の時ですね。それまでは漫画少年でしたけど、8ミリ映画をみんなで創ったことで、人とのつながりで映画というものが創られるということを覚えた。それを職業にしたいと思って、映画をつくるようになって今に至ると。またもっと映画を創りたいなと思っています。

金子
これは内田有紀さんと成宮寛貴君が体当たりの演技で頑張ってくれた作品です。男の後期の青春の10年、19歳~29歳までを描いていて、そこでの出会いと別れ、傷付き合い、そしてまた再会するという、今の日本の何のとりえもない若者がどうやってこの10年を生きていくのだろうというところを見つめて高崎という都市で腰を据えて撮ったので楽しみにしていて欲しいです。
ありがとうございました!
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